さいきのその日暮らしラジオ
隣の人はゼルダ、僕はマリオをやっていた
の放送
前に働いていた会社に、新卒で入社して10年目という人がいました。入社してからどんどん上がっていって、僕がいた頃には事業部長。年齢は31歳くらいだったと思います。年収は1000万を超えていたんじゃないかな。部下は50人くらいいて、役員会議とか経営会議に入って、この事業部を今後どうしていくかみたいな話をしている人でした。
その会社の新卒出身者の中で、そこまで出世した人は他にいませんでした。文句なしにその人が一番です。マジで仕事ができる人でした。
僕はその人より年上で、しかも会社員なんて合計3年くらいしかやったことがない人間です。だから入社した直後の頃、向こうからいろいろ聞いてこられたことがあって。「佐伯さん、独立とかされてきたんですよね。どんな感じだったんですか」と。
そのときに一回だけ、こんなことを言われたんです。
「実は僕、去年ちょっと辞めようかなって考えてたこともあったんですけど、せっかくこれだけ出世したし、なんかもったいないなと思うし」
本当にチラッとだけでした。その後は僕がその会社で働いていく1年の間に、その人は当たり前ですけど上司という立場で僕にいろいろ話すようになっていったので、あの会話はもう二度となかったです。最初の最初だけ、一対一の人間として、迷った年上と年下として話した。そういう覚えがあるだけですね。
僕はその人を見ていて、仕事はすごいなと思っていました。ただ、人生とか生活の面で見たら、すごく不自由だなと思ったんですよ。
会社は残業をしない風潮を作りたいという方針だったので、その人もオフィスにいる時間自体は長くなかったんです。でもパソコンを持って帰って、家で夜中の1時2時まで資料を作ったり、データを整理したりしている。朝はみんなが出社する1時間から1時間半前には来ている。会社は六本木にあって、その人は歩いて来られるところに住んでいたらしいです。本当に、仕事のために、会社のために生きているという感じでした。
長期休暇も制度としてはあるんですけど、その1日目か2日目に経営者の会議が入るから参加しないといけない。
僕が辞める直前、顧客の引き継ぎをしていた時期に、僕はけっこうなクレームを引いてしまったことがあります。僕は大阪支店で、その人は六本木の本社。クレームが出たのは大阪の会社で、大阪の支店には正直、責任者と呼べる人がいなかったんですよ。だから、責任者出せ、みたいな形になってしまった。
僕が電話で「こうなっちゃったんですけど、上司出せみたいになってて」と伝えたら、最初はこう言われました。
「僕、出ませんよそんなの。僕の時給考えてくださいよ。無駄じゃないですか」
僕も「まあまあ、そうですよね」くらいの反応でした。確かにそうだよなと。
でもその後すぐ長期休暇に入ることになっていて、休み明けまで放置したらお客さんの熱量がもっと上がってしまうかもしれない。そう判断したんでしょうね。その人、長期休暇に入った初日か2日目に、わざわざ東京から大阪まで来て、クレームのお客さんのところに行って対応してくれていたんです。結局、それでも収まらなかったんですけど。
この話を思い出すたびに僕が思うのは、会社の中で成長すると責任が増える、責任が増えると自分の生活を会社のために使わないといけなくなる、その縛りがどんどん強くなっていく、ということです。
もちろん「その分、給料が高くなって返ってきてるんだからいいじゃん」という見方はあると思います。僕も昔はそう思っていました。でも今は、それはけっこう古い、旧時代的な考え方かなと思うようになりました。
あの人の22歳、23歳の頃を想像するんです。新卒で入って、テレアポをして、客先に営業に行って契約を取ってくる。いわゆるドブ板営業ですよね。泥臭くやることが成長で、成果を出して出世するのが成功だ、と信じてモチベーションを保ったまま頑張ってきた。彼にとっての成長は、組織の中で立場を上げること、給料を上げることだった。
そして実際に上り詰めた。上り詰めたからこそ、簡単に降りられなくなっている。固執するものもあるし、プライドもあるし、ここまで積み上げたものを捨てて違う仕事をするなんて、なかなか考えられないと思うんです。
もっと言うと、仮に勇気を出して辞めたとしても、今度は「頑張ってきたこのキャリアを無駄にしたくない」という気持ちが出てくる。職務経歴書に、何年何月入社、何年何月課長、部長、事業部長、ときれいに書けるわけじゃないですか。そのきれいな紙を無駄にしたくないから、また同じような会社の、同じようなポジションを選ぶことになる。だから生活が変わらない。
履歴書をかっこよくすること自体が目的になると、会社員としてしか生きられなくなっていく。僕にはそう見えます。
で、ここからが、僕が30代になってようやく腑に落ちたことなんですけど。
みんな、プレイしているゲームが違うんですよ。
隣の人はゼルダの伝説をやっていて、こっちはマリオをやっている。どっちもRPGだとしても攻略法が違う。さらに向こうではレースゲームをやっている人もいる。一直線に役職を上げる、お金を稼ぐ、そういう人たちの話がレースゲームだとすれば、彼らは「速く走るにはこのエンジン、このタイヤがいい」という話をずっとしているわけです。
でもこっちは横スクロールで、一面一面ゆっくりやっていきたい。そういう人間がエンジンの話を聞いても、意味がないんですよね。
この前提が頭に入っていないと、本当に人生を勘違いしてしまうなと思います。影響を受ける必要のない情報や人から影響を受けすぎたり、わざわざやらなくていいチャレンジをしてしまったり。みんながいいと思っているものを、自分もいいと思わないといけない気がしてしまう。
僕、車が好きなんですけど、今の最新型でいいなと思うものが全然ないんですよ。今かっこいいと思うのは、20年30年前のけっこう古い車です。でもちょっと前までは、それをダサいと思っていました。最新じゃないといけない、常に新しいものを手に入れられる状況でいないといけない、そのためにお金を稼いでいないといけない、と本気で思っていたんです。
最近ようやく、自分に素直になれたというか。自分が好きなものを好きだと思っていいんだ、欲しいと思うものを欲しいと思っていいんだ、と思えるようになりました。古い家とか古い家具にも興味が出てきています。
ちなみに、古いものが安いわけでもないんですよ。維持するのにお金がかかるから、持つこと自体にお金がいる。だから僕は、お金なんて大事じゃないという話をしたいんじゃないです。お金はマジで大事です。ないと全部崩壊しますから。好きですし、欲しいですし、お金持ちであり続けたいと思っています。
言いたいのは、もっと狭い範囲で、自分が好きなものの領域で生きていっていい、ということです。本当は狭い範囲で生きたいのに、広い世界を無理やり見せられて、おかしくなっている人が多いなと思うんですよね。
ステータス、お金の稼ぎ方、みんながいいと思っているブランドやファッションや車。そういう他人からの圧力を全部取っ払ったときに、じゃあ自分は何が好きなのか。自分はどういう人間なのか。そこにこそ価値があると思うんです。みんなが好きなものが好きで、みんなが欲しいものが欲しくて、みんながいいと言う働き方をする。それを全部取り込んだら、無個性なんですよね。誰とでも一緒じゃんという話になる。
全部取っ払ったときに、お前はどういう人なの。お前は面白いの、面白くないの。お前の人生、楽しいの、楽しくないの。ただお金を稼いで貯めるだけの人なの、それとも稼いだお金で面白いことをして見せてくれる人なの。
そういうことが問われる時代になってくるなと思っています。
僕は今、朝の好きな時間に起きて、嫌な仕事はせず、午前中にあらかた片付けています。午後はサウナに行ったり麻雀に行ったり、夜は友達と飲みに行ったり。そういう生活を作ることが、僕にとっての成長です。成功を追いかけると、自分がプレイしたくないゲームで勝とうとすることになってしまう。成長というのは、自分のゲームの中で自由に動ける領域を増やすことだと思っています。
上の領域を増やしたいなら、横の領域を増やす。今の僕はそう考えています。
現場からは以上です。