さいきのその日暮らしラジオ
500万稼いだ月に、僕は一番たくさん使った
の放送
今回のラジオでは「僕たちはいくら稼げばいいのか」という話をしました。いろいろ喋ったんですが、一番ちゃんと話しておきたかったのは、月500万を初めて達成したときの、僕のあの浮かれ方のことです。
当時の僕は、とにかくお金が欲しかったんですよね。お金を持っている状態、お金のある生活っていうのがどういうものなのか、単純に体験してみたかった。それで勉強して、一年半から二年いかないくらいで、一ヶ月に四、五百万を稼ぐというのを達成しました。毎月コンスタントに500万で年収6000万、みたいな話では全然なくて、「今月500万いった」というのを何回かやれた、というだけの話です。それでも、僕にとっては初めての成功に近いものでした。
で、何をしたかというと、めっちゃ使っちゃったんですよ。
一年で二、三千万円くらい、無駄なお金を使った覚えがあります。今思い返しても、何に使ったかちゃんと説明できるものがほとんどない。それくらい、ただ流れていきました。
そのときの自分の頭の中にあった声を、できるだけそのまま書きますね。
「自分はこれだけ苦労してきたんだから、今はこれだけお金を使ってもいいんだ」
「自分はこれだけのことを達成したんだから、好きに振る舞っていいんだ」
これです。完全にこれでした。
僕は20代で、お金とか結果みたいなものにあんまり恵まれてこなかったという実感があったんですね。今になって考えたら、何十年と続く人生の中のほんのちょっとした話でしかないんですけど、当時の自分の中では「自分はさんざん苦労してきた」という感覚がどっしりあった。だから初めてまとまった額が入ったとき、それが一気に許可証みたいになったんです。もう許された、と思った。
それで急激に生活水準を上げました。これが僕の、かなり勉強になった失敗です。
今になって分かるのは、お金がたくさん入ったとか、ある程度の成功を収めたっていうのは、要するに自分の状態が一時的に良くなっているだけの状況なんですよね。その状況のときに「もう許された」と思って、今までの生き方と違う振る舞いを始めてしまうと、どうなるか。釣り合いが取れなくなるんです。本来の自分と違う生き方をしているから、自分でコントロールも効かなくなるし、バランスも崩れていく。そして結局、元の自分に戻るか、元より悪いところに戻る。
しかも厄介なのが、落ちている最中には気づけないということです。
僕の師匠が言っていたことなんですけど、失敗する人の典型的な条件の一つに「成功したことがある人」というのがあるそうです。一回うまくいった人って、次もうまくいくと思うし、自分はもう落ちることはないと思ってしまう。だから、ずるずる下がっていってる途中でも「こういう時期もあるか」「またすぐ戻せるわ」って思うんですよ。僕もそう思ってました。で、本当に気づくのは、どうしようもなくなって地べたに尻がついたときです。そこで初めて、ああ自分は失敗したんだ、と分かる。
そこからまた這い上がるのは、一回目に上がるときよりむちゃくちゃしんどいです。これは本当にそうです。一回目は何も失うものがないから軽いんですけど、二回目は「前はできたのに」という重さを抱えたまま登ることになるので。
じゃあ結局いくらあればいいのかという話なんですけど、僕が500万を何回か経験して出した率直な感想は、「500万もいらんな」でした。
僕自身が満足して、納得できる生活を送るには、月に五、六十万あれば全然十分です。投資に回す余裕もあります。家賃30万、40万、100万みたいな家に住む必要って、本当に全くないんですよね。家賃10万とか、せいぜい高くて15万くらいのところで、普通にいい暮らしができます。毎日外食するわけでもないですし。
そう考えたときに、じゃあ月100万稼ぎたいっていうのは何なんだろう、と思ったんです。
これに関して、思い出した場面があります。大阪の難波に行きつけの飲み屋があって、初めて来たお客さんとよく喋るんですけど、あるとき20代後半くらいのスーツを着た男の子が一人で来てたんですね。話してたら「年収1億を稼ぎたい」と言う。なんで稼ぎたいんですかって聞いたら、特に理由はない、と。とにかく1億というのを体感してみたい、と言うんです。じゃあもし達成したら周りの人に言いたい感じなんですか、と聞いたら、「言いたいですね」と。
それを聞いて、昔の自分だなと思ったんですよ。
僕が月500万を目指してた頃も、毎月それをクリアしないといけない絶対的な理由なんて、何一つなかったんです。一回やってみたかった、それだけ。彼も、1億稼いだ翌年に同じ額を稼ぐ必要があるわけでもないし、そもそも1年で1億必要な事情があるわけでもない。ただ、周りに「俺はすごいぞ、成功したぞ」と言いたいだけ。
それって精神性としてはかなり低いところにいるなと、彼を見ながら、昔の自分のことを思いました。目標に向かって努力したり行動することはすごく大事だと思います。でも、成功とか達成そのものには、はっきり言ってそんなに価値はないなと、今は思うんです。それよりも成長のほうを重視したい、という考えに変わりました。
だから今の僕は、めちゃくちゃお金を稼いでるけど人間としてゴミくずみたいな人と、見た目はホームレスみたいだけど内面がすごく面白くて魅力的な人だったら、後者のほうが魅力的に映ります。これは強がりじゃなくて、実際にそういう人に会ったからです。
同じ難波の店で、別の日に友達と二人で立ち飲みしてたら、西成に住んでるようなおっちゃんが歩いてきて、「兄ちゃん、この辺カラオケできるスナックないか」と。道案内しようとしたら「まあまあ、とりあえず一回一緒に飲もうか、奢ったるわ」と言われて、結局3杯ずつくらい奢ってもらいました。歯は3本くらいしか生えてなかったです。
でも、話が本当に面白いんですよ。喋る言葉が本質をついてるし、聞いてるとめっちゃ元気が出る。ギャンブルの話も、酒や女の話も、一切しない。
一緒にいた友達は、昔いろいろ事業をやって成功してたんですけど、失敗が重なって借金が膨らんで、自己破産の手続きを始めてるところで、かなり落ち込んでたんですね。もう過去のイケイケだった頃には戻れない、栄光を失った、みたいな感じで。その話を何もしてないのに、おっちゃんは何か汲み取ったんでしょうね。こう言ったんです。
「男っていうのはな、人生で3回花咲かせるんや。お前は1回は花咲かしたんやろ。あと2回も咲けるんやから」
「お前の借金なんか200円と同じや。200円くらいで死んだり落ち込んだりせえへんやろ」
「生きてるから笑ってられんねんぞ」
そう言って、「俺もう行くから、じゃあな」って、全部奢ってくれたのに後腐れもなく普通に去っていきました。ちょっとだけ後を追いかけたんですけど、すぐにいなくなってました。もう二度と会えないと思います。
あの人は、たぶん月5、60万も稼いでないです。でも僕が500万使ってた頃より、はるかに豊かな言葉を持ってた。
だから今の僕がやっているのは、じわじわ、ちょっとずつ自分を許していく、ということです。いきなり全部を許さない。たとえ収入が10倍になったとしても、生活をそのまま10倍にはしない。急に上げたぶんだけ、急に落ちるので。急に落ちるくらいなら、現状維持のほうが絶対マシなんです。
僕にとっての、冒険するほどの金額でもないし、苦労する金額でもない、ちょうどいいところが、自由に使えるお金で月5、60万でした。それが分かるのに、二、三千万円を無駄に使ったというだけの話です。
あなたがいくら必要なのかは、あなたにしか分からないです。ただ、その額が「誰かに言いたい額」になってないかだけは、一回確かめてみてもいいかもしれません。僕はそこを確かめないまま走って、二、三千万円を燃やしました。
現場からは以上です。